落ち葉

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年月日:2016.3.18
サイズ:120×68×2mm
素材:ミズナラ
場所:青森
発見者:山本修路

"fallen leaf"
date:18.3.2016
size:120×68×2mm
material:Quercus crispula Blume
place: Aomori Japan
discoverer:Shuji Yamamoto


【物語1-3】
3月18日
青森県十和田市宇樽部の国立公園の森(第1種特別地域)にて、イタヤカエデ20本から樹液を採取するために仕掛けたタンクに溜まった樹液を回収する傍、ある一本のイタヤカエデの根元の雪を60cmほど掘り、雪の下にある落ち葉も回収した。
イタヤカエデの生えるこの森の主要植生はブナとミズナラであり、イタヤカエデはブナとミズナラの隙間に生えている様子である。

この森の主要植生のブナもミズナラも種子はそのまま地面に落下する重力散布で、動物などによって運ばれ生息域を広げていく。どちらも実の豊作凶作があり、豊作だとその実を頼りに生息している生き物は増え、凶作だと減る。自然の摂理ですな。
我々人類がまだ他の動物と同じように動物であったころも、食料にしていたものに豊作凶作があったりして、それに左右されていたのだろうか。
一年を通して、森の中がこういう雰囲気だとこういうものが手にはいるとか、生きていく中で身についていくのだろう。そのうちに、この木にはこの実がなるから、この木の若木を生かすためにまわりの有益ではない木を刈り払おうとか、森に手を入れ始めていったのかな。そうやって、狩猟採取をしていた人なんかもドングリ拾ってどこかに置いて忘れてきたりして、ミズナラなどの自分では種子を遠くに持っていけない植物の生息域の広がりに小動物などと同様に一役買っていたのかな。植物以外の生き物にとって無益なものは淘汰され有益なものが残る。人類が食料生産始めるまではそんな感じだったのだろうな。
その後、人も含めた生態系である里山ができあがり、絶妙なバランスの中にあった。
現代では食料を調達するための森ではなくなっていて、木材のためにスギの植林をして、需要がないから放置して、バランスが崩れた後の数百年・数千年後はどうなっているのだろうか。遠い未来の人は植林して増やしたスギ林を原生の森とか言っているのかな。
どのような今がいいのか、過去に習い、未来を見る。

ミズナラ
学名:Quercus crispula Blime
分類:ブナ科コナラ属


※当事業は、国立公園であると同時に、文化庁の国指定特別名勝及び天然記念物に指定されている地域のため、文化庁から許可を得て実施している。また、当該地は国有林内であるため、林野庁(所管営林署)からも許可を得て実施した。

(山本修路)



【物語2】
◆メープルプロジェクト概要
青森県の十和田湖周辺の森にはイタヤカエデが自生しています。
特に記録としては残っていないが別の地域での山伏やアイヌなどがイタヤカエデなどのカエデ類から樹液を採取し煮詰めてカエデ糖を作っていた事を考えると、この地域の生活の中でも小規模の採取があったのだと思います。
1956年(昭和31年)頃から、冬の収入源としてイタヤカエデから樹液を採取しカエデ糖を生産販売を開始。この十和田産のカエデ糖は日本で初めての国産メープルシロップでした。
十和田産のシロップは砂糖としてではなく、タバコの香料・化粧品・木造船の防腐剤などとして使われたそうです。
しかし、十和田湖周辺は1911年より十和田国立公園となっており(のちに十和田八幡平国立公園)、1960年以降、自然保護活動家の過剰な保護活動が活発化し、国立公園内である十和田湖畔周辺でのカエデ糖生産が需要の衰退も伴って徐々に生産量が減り、過去のものとなりました。
そして、2011年(平成23年)。
十和田市在住の大久保学氏は「楓蜜採取事業の報告」(青森林友1957年2月)を見つけた事をきっかけに十和田のこの歴史に関心を持ち、過去の作業工程などの記録・保存を目的として、十和田湖畔の宇樽部地区にてイタヤカエデ10本から樹液を採取し、カエデ糖を生産。翌年、イタヤカエデ30本から樹液を採取し生産販売もしました。
これを踏まえ、2014年(平成26年)3月に採取地を民有林に移し、その森の植生調査からイタヤカエデがたくさん生育していることがわかり、イタヤカエデ50本から樹液を採取しました。続。平成27年3月の採取地は、昭和30年ころから40年代まで樹液採取が行われていた十和田湖畔宇樽部地区での採取としました。
イタヤカエデの生える土地をより深く読み込むために、一本一本のイタヤカエデから樹液が何リットル採取できるのか、糖度は何%か。時間とともに出てくる樹液の糖度がどのように変化していくのか。林冠の状態や樹高、胸高直径などのデータを取り、個体差や優秀なイタヤカエデのサイズ、それと、過去の宇樽部地区のカエデ糖生産がどのような理由で優秀であったのかを検証していくことにしました。
これらの取り組みは、この十和田地域で既に衰退してしまった日本初の国産メープルシロップ産業を発掘し、この地域で将来冬の新しい地場産業になりえるかへの挑戦であり、冬の森にはどのような可能性がありまた問題点や課題がどのようなところにあるのかを検証することを目的としています。

【物語3】
1956年(昭31)2月下旬から3月に渡って、青森営林局管内に自生しているイタヤカエデから樹液を採取し煮詰めて濃縮液(シロップ)を生産する「楓蜜採取事業」が行われました。 実行した箇所は岩手県も含む7営林署の13事業地。 その中でも青森県三本木営林署の宇樽部事業地と子ノ口事業地の生産費が優秀な数字で、同じ三本木営林署内の焼山から子ノ口に至るまでの奥入瀬渓流沿いでの採取は様々な困難があり、成績は不振に終わりました。
以降、十和田湖畔宇樽部・子ノ口地域では農閑期にその土地の農家の人々が樹液採取し、シロップの生産を行いました。

「楓蜜採取事業の報告」(青森林友1957年2月)のむすびに、「三十年後を目標とした薪炭林改良に織り込む施策を望んでの試験経過であった」とあります。 これは一体どういうことなのか。時代背景からこの事業が取り組まれるに至ったのか、経緯を推測してみました。

世の中は、採取事業が行われた1956年の翌年、1957年に国有林生産力増強計画が始まります。
(一)治山事業を強化すると共に、奥地未開発林の排発を総合的に促進する。
(二)木材需要の変化に即応すると共に、森林経営を集約化し森林生産力を増強するため、人工造林の拡大および林木育種事業を促進する。
(三)木材の生産・利用および消費を合理化する。
という計画です。
1954年から始まる高度経済成長により木材需要の高まりから、規制の緩和を求めて国民とマスコミの要望・圧力から計画されたものです。
この4年後の1961年にも国有林木材増産計画により、さらに造林が拡がりました。
これは、向こう四十年間に生産性が2倍になることを試算利用して、成長量の2倍を超える伐採を行い将来に見込まれる森の生産性増大を先食いして木材生産を推し進めた計画でした。
と同時に、木材を熱源とする生活様式が、薪炭から石炭・化石燃料へとの転換が進んでいたため、都市部を中心に薪や炭の需要は減ってきていました。
都市部に住む人の木に対する考え方は建材として利用するというものだけに変わっていったことでしょう。
しかし、都市部から離れた地方では従来の様式によらざるを得ない事情もあり、急激に薪炭そのものを減少させることのできない状況でもあったようです。
このように複雑な情勢から今後里山に限定されるであろう小面積薪炭林をいかに集約的に経営するかが問題になっていました。
薪炭林の改善については古くから樹種の改良、作業法、伐期齢、伐採季節の改善、保育期間中の手入れの励行などの方法が考えられていたが、実際にはそれほど実行されていませんでした。
民有林における掠奪的林業経営や国有林での皆伐作業などの過去の森林の取り扱いは、目先の資源が豊富であったことによる粗放な施業が原因であり、当時その惰性で経営しているものもあったようです。このような状況を改善するために1935年(昭和10年)青森県平内にある試験林では薪炭林施業の改善策である作業法についての研究を行いました。主として択伐薪炭林の成長過程を明らかにしたものでした。
平内の薪炭林総合試験地では林分構成樹種50余種の中にイタヤカエデがあります。
イタヤカエデは、炭材として最良、成長も良好なコナラ・ミズナラに次いで良好な樹種として分類されました。
炭材としても有用なイタヤカエデの取り扱いに対して、炭材としてだけではなく樹液採取からシロップの生産を行い、イタヤカエデの保存や植林事業を推進し、事業報告に記載されているように、北米やカナダに見られるような砂糖生産量を森から求めるような自然条件を作り出すために、30年後を見越しての事業だったのではないでしょうか。
そして、改善された薪炭林は人の手の行き届いた理想の薪炭林でありカエデの多く生える有用な森なのではないでしょうか。

これらを踏まえ、今日での十和田湖畔宇樽部地区での樹液採取の展望はいかに

(山本修路)

続く……